財務・税務

内部人材でつなぐ ~薬局における従業員承継のメリットと注意点~

薬剤師 描け× 税理士の薬局経営教室
アシタエ税理士法人 税理士・薬剤師 市川 秀
日本全体で後継者不足が叫ばれている昨今、弊社でも日頃から事業承継について多くのご相談を受けています。本連載でも何度かM&Aについて紹介してきましたが、実は 「従業員承継(従業員への事業譲渡)」 に関するご相談も多く承ってきました。従来のM&A(合併・買収)は外部の第三者や他業種企業を相手に行うケースが注目されがちですが、自社で長年にわたり育成してきた従業員に経営権を譲渡する 「従業員承継」 には、薬局ならではの強みと注意点が存在します。本記事では、従業員承継のメリットとリスク、手続きのポイントを整理し、安心して次世代へバトンを渡すための実務的視点を紹介します。

1.従業員承継が選ばれる背景

薬局経営者から 「自社の雰囲気や地域の医療ネットワークを理解している従業員に承継したい」 という声をよくお聞きします。特に門前薬局では、取引先である医療機関との関係性が経営の柱を成しており、新たな第三者が入り込むと、長年築いてきた信頼が一時的に揺らぐリスクがあります。これに対し、内部の従業員であれば、社内文化や顧客対応のノウハウをそのまま引き継げるため、移行期間中の混乱が最小限に抑えられます。また、従業員との日常的なコミュニケーションがあるため、交渉の場でも双方の意向調整がスムーズに進む傾向があります。

2.主なメリット

1)社風と顧客対応の継承
従業員は日頃から薬局の理念や接遇マニュアルに則った業務を行っています。これまで地域で培った「顔の見えるサービス」を維持できる点は、薬局特有の大きな強みです。

2)交渉プロセスのシンプル化
外部M&Aでは買い手候補の選定、企業調査( デューデリジェンス)、秘密保持契約など多段階のステップが必要ですが、従業員承継では社内事情を把握しているため、短期間で合意形成が可能です。

3.注意すべきリスク

しかし、気心の知れた相手だからといって口約束だけで譲渡を進めるのは大きな落とし穴です。実際に 「支払条件や譲渡価格の算定方法が曖昧で、後日、費用負担を巡って揉めた」 という事例も少なくありません。
以下の点は特に慎重に対応しましょう。

1)譲渡価格および支払い条件の明確化
事業価値の算定方法(減価償却後の設備価値、在庫評価、営業権の有無など)を具体的に定め、譲渡価格の決定プロセスを文書化します。支払スケジュールや分割払いの場合の金利・遅延損害金についても契約書で明確にし、双方の認識相違を防ぐことが重要です。

2)銀行借入金の取り扱い
薬局承継に際しては、店舗改装や在庫や営業権購入のために、従業員側で多額の借入金を用意しなければならないケースがあります。その場合、銀行の稟議が必要となるため、銀行との協議を事前に調整し、金融機関が求める資料(事業計画書、キャッシュフロー予測、譲渡契約書ひな形など)を揃える必要があります。稟議が通らなければ譲渡契約自体が成立しない可能性があるため、スケジュール管理は厳密に行いましょう。

3)法的・税務的チェック
従業員承継はストラクチャーによって株式譲渡型、事業譲渡型に分かれ、税務上の取り扱いが異なります。加えて、労働契約の引継ぎや雇用条件の変更も伴うため、社会保険・労働法規への適合性をリーガルチェックし、労働組合や労働基準監督署への届出が必要となる場合もあります。専門家(弁護士・税理士・社労士)と連携し、契約書および諸届出書の正確性を担保してください。

4.関係医療機関へのアプローチ方法

薬局特有の課題として、譲受先となる従業員が門前の医師へどのように紹介されるか、というプロセスがあります。従業員承継では、 「調剤経験しかない」 といったイメージを払拭し、経営者としての新体制をしっかりアピールする必要があります。
具体的には、
  • 共同挨拶の実施:承継前後のタイミングで、現経営者と譲受予定者が医療機関を訪問し、共同で挨拶と今後の運営方針を説明する場を設ける。
  • 事業継続のコミットメント表明:従来どおりの供給体制と品質を維持しつつ、新たな取り組み(予約システムの導入、OTC(一般用医薬品)の拡充など)を提案することで、信頼を損なわないよう配慮する。

5.まとめと提言

従業員承継は 「事業承継の王道」 と言えるほど、多くのメリットを享受できますが、その裏には契約・調達・法務・税務といった複数分野のリスク管理が不可欠です。円滑な承継を実現するには、初期段階から事業価値の評価、譲渡条件の調整、金融機関との折衝、契約書の整備、関係先への紹介などを段階的かつ丁寧に進めることが重要です。
従業員承継を成功させる鍵は、 「内部だからこそ甘く判断せず、外部専門家も巻き込んだ堅実なプロセス設計」 です。大切に育ててきた薬局を次の世代へと無事に手渡すため、計画的かつ総合的な準備を進めていきましょう。


【2025.6月号 Vol.2 Pharmacy-Management】